ガウディスポット パート1では、すでにサグラダ・ファミリアについて触れました。
この記事ではサグラダ・ファミリアの中でも、訪れた方々の多くが、見落としてしまいそうな空間と彫刻をお伝えします。
せっかく行くのなら、みんなが見落としている部分まで見て、感動したり、感激したり、へーなるほどーって思いたいですよね?
ちなみに、ここで紹介する場所、彫刻は私も1回目に訪れたときは完全に見落としていました。
正面の生誕の門(ファサード)を見上げて、
「おースゲー」と思って、
教会の中に入って、見上げて、周囲のステンドグラスに感動して
「おーキレイー」と思って、
それから受難の門側にでて見上げて、
「おー生誕の門とはぜんぜんちゃうなー」と思って
終わり。
まーこれが通常だとは思いますが、以下見てほしい部分をいくつか取り上げています。
ぜひ見てきてください!
生誕の門の柱を背負う、亀(カメ)

生誕の門を構造的に支えている2本のそれぞれの柱の下にカメの彫刻があるのを知っていましたか?
行かれたことのある人は気づいていましたか?
このどっしりしたカメの形が柱の台座として適切であることの他に、生誕の門に降りかかった雨が柱の中を通って、最終的にこのカメの口から吐き出されるようになっているんです。
そう、雨樋(あまどい)の機能があるんです。
ちなみに、2匹のカメの彫刻があるのですが、1匹はリクガメ(陸)でもう1匹はウミガメ(海)です。
海側に設置されているのがウミガメ、山側がリクガメ。芸が細かい。
「サグラダファミリアをカメのようにゆっくりでも少しずつ休まずに作り続けていこう」という思いが含まれています。
リクガメとウミガメの違いは?
陸に棲むリクガメと海に棲むウミガメには、大きな違いがあります。 リクガメには陸上を歩くための 『アシ』 がありますが、 ウミガメは海の中を泳ぐため、 船のオールの様な形をして いる 『ヒレ』 があります。
ロザリオの間にある「爆弾を持った若者の像」と
「祈る少女の像」
ロザリオの間


ロザリオの間は、生誕の門の扉から中に入り右手前奥にある部屋になります。
エレベータの隣奥です。
わたしは1回目の訪問では、その存在に気づかず華麗なスルーをかましました。
この部屋は、1936年に勃発した、スペイン市民戦争という内戦の際にめちゃくちゃにされ、彫刻は破壊され、内部は焼き打ちされました。
模型や、ガウディが遺した資料など壊されないように隠していたのに、見つかってしまい全てやられてしまうという悲惨な状況になりました。
それから50年近くも修復されずそのままの状態が続きます。
そして修復予算の確保ができたのでしょう、日本人彫刻家である、「外尾悦郎さん」に修復という大仕事が依頼され、外尾さんは設計図や模型もない中、ガウディの思考について考えに考えぬき、修復作業にあたりました。
このロザリオの間には印象的な2つの彫刻があります。
- 爆弾をもった若者の像
- 祈る少女の像
爆弾をもった若者の像


サグラダファミリアに爆弾といった現代的な物がなんだか似つかわしくない気がしませんか?
ロザリオの間のアーチの中央にマリア像があるのですが、その方向を向いている若者。
そして手には爆弾。
悪魔にそそのかされてマリアに爆弾を投げようとしているようにも見えます。
ただ、よーく見てください。若者の指先は、爆弾をしっかりと掴んでいるわけではなく、わずかに浮いているんです。
ガウディはあえて指を浮かせたということです。これが何を意味するのか。興味深いですね。
ガウディが生きていた時代には、バルセロナ経済が急速に発展する一方で、貧富の差の拡大といったまさに現在の先進国でも起きているような問題が発生し、テロなどの社会不安が発生していました。
そんな不安定な情勢の中で、リセウ大劇場という有名な劇場で爆弾テロが起きてしまいます。
そしてなんと、犠牲者の中に、ガウディが若い頃に恋した女性とその家族が含まれていたのです。
犯人は、アナーキストつまり国家や権力を否定し個人の自由を目指す革命思考をもった人間です。頑張って働いても貧しい暮らしから脱せないのは、国や資本家階級が、搾取しているからだという考えたあったのでしょう。
この悲惨な出来事が、この爆弾をもった若者の像につながっていると考えられています。
彫刻の若者の身なりは、カタルーニャの貧しい労働者のようです。
テロを起こす前に、ほんとうにそれは正義といえるのかマリアに問いかけてくれていれば、踏みとどまったのではないか。
そんな思いが、この若者の彫刻には託されているのだと、修復にあたった外尾さんは著書で述べられています。
祈る少女の像


少女は、魚に化けた悪魔に、金貨が入った袋で誘惑されています。
この少女も貧しい身なりをしています。
お金が欲しい、と願っているようです。誰かを助けるためなのか。
ガウディの生きた時代は、上で述べたように、貧富の差が拡大したことによって、アナーキストが出てきたことと、さらに売春の増加も社会問題になっていたのです。
純粋に祈りをマリアに捧げているようですが、一方で自分の中の悪魔の誘惑に負けそうになっている。
悪魔にもいろんな種類の悪魔がありますが、この彫刻の悪魔は、性の悪魔を表現しています。
誘惑に負けそうになりながらも祈る、そんな悩みの表情が彫刻に表されています。
ちなみにですが、ロザリオの間には「誘惑」という副題がついています。
人間はだれしも完璧でななく、いろんな誘惑に負けそうになる、それでも前に進んでいくことが大事だということをガウディは伝えたかったのでしょう。
さいごに
この記事では、サグラダファミリアで見落としがちな空間と彫刻を紹介しました。
ぜひ訪問された際には、見てきてください。
最後に日本人彫刻家の外尾悦郎さんが書かれた書籍を紹介します。
この本を読んでから行くとガウディがサグラダ・ファミリアに込めた思いや、またガウディの意思を読み取りながら彫刻に取り組まれた外尾さんの職人としての凄みを感じることができ、一層サグラダ・ファミリアの訪問の楽しみを増やしてくれるでしょう。
他にも
だれかのお役に立てれば、ではでは。
だれかに、あれこれ。